1980年台の初め頃、JICAの国際協力で太陽光発電事業が行われました。おそらく太陽光発電の国際協力プロジェクトはこれが初めてだったのではないかと思います。当時、私は太陽電池の研究に従事し始めたばかりでしたので、そんなことが行われているなんて全く知りませんでした。10年以上たってから知ることになりましたが、実はこれが大変評判の悪いプロジェクトでした。
私が途上国の太陽光発電プロジェクトに携わり始めたのが90年代の後半。最初に携わった仕事で関係していた大使から「太陽光発電なんて・・・・・」と、さんざん毒づかれました。タイ、パキスタンでのプロジェクトのことを非難していました。その時は意味が良くわからなかったので「そうですか・・・・・」と、取りあえず否定も肯定もせずに誤魔化しましたが、どうも気になって何があったのかいろいろな人に聞いてみたりしました。しかし、知っていると思われる人が、これについて話したがりません。
どうもかなりまずいことがあったようです。
少し得られた話は、
- 日本から送られた機材が、現地の港で何ヶ月も放置されていた。
- 太陽光発電の設置場所について現地の人の間でトラブルが起こったが放置していた。
- このためにJICAや大使館の人が走り回らなければならなかった。
というようなことです。
ここで昔の国際協力プロジェクトについて少し説明しておく必要があると思います。
まず、国際協力プロジェクトというのは相手国から出される支援要請に応じて行われることが原則ですが、実際には途上国が自分で要請するというのは稀です。国際協力であっても要請する場合はそれなりの外交手続きが必要であり、それを途上国がこなすのには無理があります。多くの場合、先進国側のプロモーターのような人が介在し、途上国側を支援して要請手続きを進めていきます。が、このプロモーターのような人は先進国側の企業とつながっていることが多く、当然、途上国を支援するような顔をしてその企業に有利になるようにプロジェクトを作っていきます。
一方、途上国のプロジェクトはトラブルが起こりやすく、そのためにいろいろ対策をしてゆっくり進める必要があります。このため、かなりの手間とコストがかかってきます。プロモーターのような人は、その辺りの事情にも精通していて、後々困らないようにプロジェクトを設計していきます。
想像するに、当時のこの悪評高いプロジェクトを仕組んだ人達はそういうことを知らずに何の対策もしないまま進め、うまくいかなくなって放置したようなところがあったのでしょう。素人が手を出して痛い目にあったというところでしょうか。
しかし、このことでJICAや外務省は大変怒り、太陽光発電のプロジェクトは二度とやらないと宣言したそうです。実際、それから20年以上に亘って太陽光発電の無償協力プロジェクトは行われませんでした。
その20年間というのは、ソーラーホームシステムという途上国用の太陽光システムを用いた支援プロジェクトを多くの先進国が盛んに行った時代でした。日本では太陽光発電の研究開発や国内プロジェクトが盛んに行われ、太陽光発電技術で世界一への道を進んでいましたが、途上国支援の場では世界に大きく後れを取ることになりました。
まぁ仕方ないですかね。
尤も、20年の間、全く途上国支援のプロジェクトを行わなかったわけではありません。形を変えて、無理をしながら少しずつやっていました。かなり無理をしていた面もあります。それについてはまた紹介していきたいと思います。
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