今日は忘れもしない日ですね。
私も会議中とても揺れたことを思いだします。
北陸にいたので、被害にあうことはありませんでしたその後に流れるTV映像にこの世とは思えない体験でした。
ちょうど子供が生まれて3か月の時期です。
この子が成長するのにこの国はどうなっていくんだろうか。
このままでいいのか?
自分にできることは何か?
という閉塞感にさいなまれた世間の雰囲気の中で真剣に考えました。
北陸道を走っていると、援助に行く自衛隊の隊員の方々。。
自分には何もできませんでした。
ただただ、感謝。涙。しか。
子供が生まれたばかりだったし、これからのことを考えると被爆もしたくないと逃げてしまっていました。
言い訳ですが、今となっては懺悔しかありません。後悔しかありません。
それまでは私も日本の技術は高い。原発は最低限必要なものであるという意見をもっていました。
営業で福井を担当していたこともあり、支える産業などを考えると賛成意見でした。
しかし、あの爆発の映像によって180度その考え方は変えさせられました。
原発によって安住の地を追われることはあっても、太陽光で追われることはありません。
その時、抱っこしていた我が子の寝顔をみて自分でできる限りのことをしてやろうと思ました。
それが私が太陽光を始めたキッカケです。
普段はふざけて子供の学資保険がわりといっていますが、20年後に残せるものを自分で作っていきたいと思います。
20年たてば十分に元は取れています。
そこからは利益がすこしでもベース電源として地域を支えていけるのであればこれ以上の贈り物はないと思っています。
子供に誇れることを、子供がいつか気づいてくれる日がくること、私はそれを願っています。
あの日、多くの尊い命が失われました。
どれだけ行きたいと渇望したことでしょう。
そんな思いの上に自分たちは生かされているのだと思ってこれからも活動していきたいと思います。
ちょっと真面目な話でした。
売電価格が下がっても、この日だけはYouTubeの動画をみてあの悲惨な光景をもう一度みるようにしています。
そして、自分の原点を見直しています。
少しでも良い日本の国にできますように。
合掌。
コメントを残す
コメントを投稿するにはログインしてください。