コメ問題の本質は“対立構図”ではない──大規模集約化に潜む誤解と、国民が本当に知らされていないこと
最近、テレビやニュースサイトで米の生産問題が取り上げられるたび、
「大規模集約化を進めれば国産米を安く安定供給できる」
というメッセージが強調されているように感じませんか?
さらに、政策に慎重な農家や専門家が声を上げると、
「改革を邪魔する勢力だ」
といった、分かりやすい“悪役”に仕立てられることすらあります。
この構図、どこかで見たことがある――そう気づく人も多いはずです。
そう、メガソーラー批判の時とほぼ同じなのです。
「国民が困っている!安い電気が必要だ!なのに〇〇勢力が妨害している!」
という“正義と悪”の物語に当てはめて報じた方が、視聴率もSNS拡散も取りやすい。
しかし、冷静に考えてみましょう。
大規模化したら本当に全部解決するのか?
そんな夢の未来なんて、あるわけがない。
■ 立場も環境も違う人たちが、それぞれ正しいと思う主張をしている
米を作る農家には、
- 地域の地形
- 農地制度
- 機械の更新状況
- 労働力
- 家族構成
- 歴史的背景
などがバラバラで、“正解が共通ではない”という前提があります。
にもかかわらず、
- 「大規模集約化こそ正義」
- 「慎重派は悪者」
と単純化して語ろうとすることこそが、最大の問題なのです。
■ 「大規模化」と言っても、中身はまったく違う二種類が存在する
多くの人が混同しやすいのが、このポイントです。
① 点在する圃場を“寄せ集めただけ”の大規模化(実は効率は上がらない)
- 現状の農地を少しずつ借りて面積だけ増える
- 圃場がバラバラなので機械移動に時間がかかる
- 効率はマンパワーの限界があり、結局は作業負担が増す
- コストはほぼ削減できない
地方の多くはこのパターンで、
「規模を増やしたのに全然ラクにならない」という農家が多数派です。
② 道路拡幅や区画整理を伴う“本物の大規模集約化”(莫大なコスト)
- 隣接する圃場を買収・統合
- 大型機械がUターンできるサイズに全面再整備
- 農道拡幅、排水整備、大型トラック搬入スペースの確保
- 区画整理・補償・用地買収など行政コストも莫大
欧米式の農業に近づきますが、
とにかく金がかかる。国費も地方税も膨大に必要です。
「大規模化すればコストが下がる」などという説明は、あまりに雑。
現実はむしろ、「今よりしばらく増税しないと実現できない」が実像に近いのです。
■ 将来は安くなる? それとも、企業寡占が進むだけ?
本物の大規模集約化が進めば、コストが下がる可能性はあります。
しかし同時に、
- 大規模投資に成功した一部企業による寡占化された食糧市場
- 食料供給が特定企業に偏るリスク
- 地域景観やコミュニティの消失
こうした問題も生まれます。これは農業だけでなく、エネルギー政策にもそっくりです。
■ 現在の増税を、国民は本当に受け入れるのか?
大規模集約化を推進したい側は、コストの話では急に声が小さくなりがちです。
「将来の国民負担を減らすために、今は増税させてください」
と正直に説明しているでしょうか?
再エネ賦課金が「気づけば国民負担になっていた」のと同じ構造で、
農業でも同じことが起きる可能性があります。
国民はそれを理解しているのか?納得できるのか?
ここを議論せずに「大規模化は正義」と語るのは不誠実です。
■ 結論:対立ではなく“構造の複雑さ”を理解することが重要
コメ問題は、
- 「大規模化推進 vs 反対勢力」
といった単純な勧善懲悪で語れるものではありません。
農業の現場は地域ごとにまったく違い、制度も環境も複雑です。
だからこそ、
- どの地域で
- どの方法が
- どの規模で
- どの程度の費用で可能なのか
といった“多様な最適解”を議論することが重要です。
メディアが作る単純な正義の物語に流されず、
敵を作るのではなく、構造を理解すること。
それこそが、本当の解決への第一歩なのです。
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